絶滅寸前までになったチンチラが、ペットとして飼う事ができるようになったのは、ある人物の功労によるもの。
ここでは、キーマンとなった人物「チャプマン氏」と、チンチラの歴史についてお話ししていきます。
チャプマンとチンチラの出会い
1918年のこと、アメリカ人の「チャプマン」が銅山の技師をしていたとき、空き缶に入れられた1匹のチンチラと出会いました。
チンチラの毛ツヤの美しさとやさしい気質に引かれ、ペットとして飼うことに決めたのです。
そして、チンチラをアメリカに連れて帰り、繁殖させて絶滅の危機から救おうと考えました。
そこで、先住民といっしょに3年がかりでチンチラを11匹(オス3匹、メス8匹)集めました。
チンチラをアメリカへ運ぶ
問題はチンチラをどのようにアメリカに連れて行くかです。
チンチラの輸出禁止例が出されていたからです。
それでもあきらめずに、役人と交渉し続け、ようやく輸出許可も下り、いよいよアメリカへ。
ただ、南米からアメリカにチンチラを運ぶには、船で赤道直下の海を渡らなければなりません。
11匹のチンチラのために専用の大きなケージを作り、チンチラが暑さで体調を崩したり死んだりしないように、氷をケージに入れ、さらに、そのケージを荷物室ではなく、客室に乗せたのです。
エアコンのない時代です。それから約1カ月の間、チンチラを暑さから守るために、氷を詰め替えたり、濡れたタオルをかぶせたりと、さまざまな苦労を重ね、ようやくカリフォルニアに着きました。
アメリカに着いたとき、11匹いたチンチラのうちの1匹は死んでいましたが、途中で赤ちゃんが2匹生まれ、12匹になっていました。
チャプマンはチンチラの繁殖に成功
それからは順調でした。
チャプマン氏の努力により、チンチラの繁殖が成功し、数はしだいに増えていったのです。
このような経緯から、現在、日本を含めて世界中で飼われているチンチラは最初の12匹の子孫と言えます。
一方、チャプマン氏が繁殖に成功したチンチラは競りにかけられたりして、アメリカやカナダで毛皮に。
チャプマン氏は毛皮業界の大御所となったのです。
驚きなのは、チャプマン氏が亡くなったとき、まだ最初の12匹が生きていたということです。
最後の1匹はアメリカに来てから22年後に死亡しているので、12匹は驚くべき生命力だったということでしょう。
現存するチンチラは、ほぼオナガチンチラ
12匹のチンチラの種類についてですが、全部「オナガチンチラ」であると言えます。
記録がないので、100%確実とは言えませんが、ほかの種類のチンチラと掛け合わせた可能性も低いので、現在ペットとして飼われているチンチラは、ほとんどがオナガチンチラであると言っても過言ではありません。
どちらにしても、チャプマン氏のチンチラにかける情熱と努力がなければ、現在、私たちがチンチラをペットとしてかわいがることはできなかったのです。
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