『チンチラ』は、ペットとしての認知度より、毛皮としての方が認知度が高いのではないでしょうか。
ここでは、チンチラ好きなあなたが、心を痛めるであろうチンチラの歴史についてお話をしています。
どう捉えるかは、あなたの判断に任せたいと思います。
チャンチャ族と共存
1300年ごろ、南米の海岸(現在のチリ北部)に、「チャンチャ」と呼ばれる部族が住んでいました。
しかし、戦争によって山間部に追われたことにより、高地に生息する動物を捕まえて食肉とし、生活するように。
その動物の中にチンチラもいたのです。
チャンチャ族はチンチラを食肉として食べるだけでなく、毛皮や衣服、寝具などにも加工して使ったと言われています。
チンチラの毛皮は柔らかくて丈夫なため、縫い合わせてじゅうたんにするなど、とても珍重されていました。
インカの王侯貴族のシンボルに
その後、1400年ぐらいになると、「インカ族」がチャンチャに攻撃してきて、チャンチャはインカ帝国の支配下になります。
インカ帝国はチャンチャ族にチンチラの毛皮を使うことを禁じ、代わりに、チンチラの毛皮はインカ帝国の王侯貴族にしか使えないものとしたのです。
つまり、チンチラの毛皮はインカの王侯貴族のシンボルとなりました。
スペイン女王の貢ぎ物に
1500年代になると、スペイン人の「ピザロ」がペルーにやって来て、インカ帝国を滅ぼし、チャンチャ族の領土はローマ皇帝のものとなります。
ほどなくして、3万世帯もあったチャンチャ族はしだいに滅び、絶滅してしまいます。
その後、ペルーから本国スペインに贈る貢ぎものの中にあったチンチラの毛皮がスペイン女王の目に触れることになります。
スペイン女王は、その柔らかさと軽さ、光沢に魅了されたのです。
それから、スペイン宮廷の女性たちにまでチンチラの毛皮の評判が広がり、ペルーの地では、チンチラ狩りが盛んになっていきます。
1600年代でした。
実際にチンチラを狩る仕事は地元の先住民たちに任されました。
もともと、チンチラは人間とうまく共存していて、人間を恐れなかったので、チンチラを捕獲するのはとても簡単でした。
そのうち、より多くのチンチラを捕まえようと、巣穴に煙を入れて外に出てこさせたり、イタチの仲間や犬にチンチラを捕まえさせたり、ひどいときには、毒やダイナマイトまで使ったりと、しだいに捕獲のしかたが凶暴になっていきます。
チンチラは絶滅の危機に
1810年にチリが独立すると、チンチラの毛皮を輸出するようになり、ますますチンチラは少なくなっていきます。
1900年代になると、毛皮の輸出量はかなりの数になり、1900年代の前半には、チンチラの毛皮はほとんどゼロに近くなってしまいます。
当然、野生のチンチラはどんどんいなくなっていったのです。
1918年には、ペルーやチリ、アルゼンチン、ボリビアで、チンチラの捕獲や毛皮の輸出の禁止令が出されます。
ただ、この時点では、チンチラの野生種はかなり少数になっていました。
輸出が禁止されると、チンチラの毛皮の値段が高騰します。
英米では、かなりの高額で取引されるようになりました。
そのため、高山の岩場などに隠れ住んでいたチンチラまで密猟されることになり、ますます野生のチンチラは絶滅寸前になっていったのです。
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